他者をバカにすることについて

今日の気になる

こんにちは! mnbd(@mnbbbbbd)です。

今日は、はてな匿名ダイアリーの記事が気になりました。
以下に引用します。

私は子供心に、
大人のコミュニケーションというのは、他人をバカにして冷笑的で気の利いたツッコミをすることであり、
大人の愚痴とは、他人の無能に困らされた経験を語ることなのだと思った。
その思いは同時に、
他人にバカにされるような存在になってはいけない、
他人の無能を笑えるくらい自分は有能でなくてはならない、
そうでなくては愚痴る資格さえない、という強迫観念にもなった。

https://anond.hatelabo.jp/20210114231523

私もこの方のように、人を悪く言うとか、バカにするコミュニケーションが当たり前だと思っていた時期があります。

当時はあまり深く考えず、周りの方々がバカにしたり、悪口を言っているのを聞いていて、自分もそういう風になっていたんですよね。

いろいろとストレスがあったというのもあるんですが、わざわざ言うこともないようなことや、そこまで深く考えてない方々のことをバカにしてしまっていました。

自分に返ってくる

この著者の方も同じようなことをおっしゃってますが、こういう姿勢は自分に跳ね返ってくると感じます。

常にこういう考え方が習慣化してるので、自分自身について考える時に影響を受けます。

恥をかかないようにしよう、バカにされないようにしよう、という考えが先行する。

何かを成してきた方や、生き生きとしている方というのは、往々にして恥を恐れなかったり、行動力のある方ではないでしょうか。

優越感という錯覚

他者をバカにするというのは、自分が優位にあるように錯覚してしまうというのもあります。

しかし実際には、優位にあるように見えて自分が何かをしたわけではないので、何もありません。

何かを学ぼうという姿勢があるなら、バカになどはしないでしょう。

メディアの影響

こうした考え方は、家庭による気がしますが、家庭の考え方を作るのにメディアの影響が大きいと思います。

メディアは、極端さを必要とします。

極端にすごいことをした人、極端に悪いことをした人。

そして日々、誰かの失敗を攻撃していますね。

バラエティ番組などは、人をバカにしたり、バカにされたりして成り立っています。

メディアが悪いと言いたいわけではありません。

メディアは、視聴者が求めているものを提供しようとしている場合がほとんどですから、メディアを見ることでこうした考え方が強化され、強化されるからまた見たくなるという、鶏と卵の話であると思います。

悪口は仲間意識を生む

人を悪く言う行為というのは、親密さや仲間意識を生みます。

かつて故野村克也さんが「悪口を言わないやつは信用できない」とおっしゃっていました。

確かにそういう面はありますね。

自分にだけ話してくれる特別感や、本音で接してくれてるような安心感があるのも事実です。

情の部分というか、人間味とも言えますから。

しかしやりすぎはやはり毒だと思います。

上で述べたような害の方が大きいと私は感じます。

どうしたらいいのか

では、どうしたらいいんでしょうか。

結論的には、そういう姿勢の方々やメディアとは、関わらない、接しないようにするということだと思います。

私自身は、そうなっていったというのがあります。

人をバカにしたり、悪口を言うと、自身の思考だけではなく、自分に対する他者の行為として返ってくる可能性もあります。

特にインターネットのように情報通信技術が発達すると、つながりが密になりますから、いつどこで誰に話されるかわかりません。

わざわざ敵を作る必要もないでしょう。

そうはいっても、人間は聖人ではありませんので、過剰に八方美人になると疲れてしまいます。

どうしてもガス抜きしたくなってしまったら、秘密のノートに書くとか、明らかにコミュニティが重ならない方に話すとか、曖昧な形でオブラートに包んで話すとか、あえて敵を作らない自己防衛は必要ではないかと思います。

まとめ

他人をバカにすることについて思ったことを書きました。

過去を恥じるのは、成長の証とも言います。

こう考えられるようになっただけでも成長していると思いたいところです。

以上です。
読んでいただきありがとうございました!

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