自己啓発書を読んできて思ったこと

今日の気になる

こんにちは! mnbd(@mnbbbbbd)です。

今日は、テレビやYoutubeで人気のひろゆき氏が自己啓発を一刀両断している記事を読みまして、それについて書きたいと思います。

ひろゆき氏は以下の記事で「自己啓発書を読んでいて成功した人に会ったことがないから不要」と切り捨てています。

自己啓発ってなに?

そもそも自己啓発とは何でしょうか?

コトバンクには以下のようにあります。

人が気づかずにいるところを教え示して、より高い認識・理解に導くこと。

https://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E7%99%BA-489165

言ってみれば自分自身を高めることなんですよね。

そしてどこか怪しいイメージがつきまとう言葉です。

これは「自己啓発セミナー」という名前で、かつてある有名アーティストの方がハマったことが大きなニュースになったことが影響している気がします。

ただ、昨今はセミナーというよりも、「自己啓発書」というジャンルが確立されるほど本屋に本が並んでいることの方が大きいかもしれません。

私が自己啓発書を読んでいた理由

私もかつてはこの自己啓発書というジャンルの本を読んでいました。

自身を高めるというよりは、人間関係を円滑にすることがメインで、大きな社会的成功をおさめたいという理由ではありませんでした。

つまり自分自身の劣等感を埋めてくれるものだったのです。

自分の心が原因だと考える

先に上げたひろゆき氏の記事にありますが、自己啓発書のひとつの効果として一時的な高揚感があげられると思います。

自己啓発書に書かれていることはいいことばかりですよね。

「あなたが変われば、あなたがこうするといいことが起きる」という類の話が実例をもとに語られたりします。

自分の振る舞いいかんで、ものごとがうまく、成功に導いてくれるかのような気がしてしまいます。

つまり、うまくいかない、成功しないのは、自分の心の持ち方が原因だと考える。

しかし、現実にうまくいかないのは、自分の心の持ちようだけではないですよね。

運の要素があったり、個人個人が集団主義的な自分の属する集団に合わせようとしたり、社会心理学的側面もあります。

人間関係であれば相手のあることなので、自分がどう振る舞おうが相手をコントロールできるわけではありません。

わざと人間関係を円滑にならないように振る舞おうとする人もいる。

ですから読後の高揚感はあまり長続きしません。

むしろ高揚感があるからこそ、またそのうまくいかない気持ちが強くなってしまう、悪循環になることもあります。

成果がなければモチベーションがあがっていきませんし、私のように「人間関係を円滑に」という漠然とした答えのないものですと、目的が不明確でどんどん萎えていってしまいます。

なぜ自己啓発書を読むのか

かつてはあまり大きなジャンルではなかったとされる自己啓発。

インターネットの普及で個人の目指すロールモデルが多様になったことに加えて、出版不況の影響で乱発されるようになっているのかもしれません。

それはそれとして、なぜ人は自己啓発書を読むのでしょうか。

私は「人生の目的のなさ」や「自信のなさ」といった不安にあるのではないかと思っています。

「人生の目的のなさ」は、かつての「自分探し」や、今で言う「何者かになりたい」などの言葉で語られたように、どこか漠然としていて目標がない状況のことです。

人間は自分のことに関心がありますから、自分自身の行き場のない気持ちをある種成功者や成果のあった方々の言葉に重ねているのだと思います。

しかし実際のところ、そうした成功者や成果のあった方々も、個人の意思だけでそうした成果を得られているわけではない。

誰一人として同じ人生を歩んできた、またはいるわけではないのですから。

逆に「自信のなさ」はそうした成功者と自分の現在地のギャップからくる苦しみとも言えます。

周囲や社会と比較してしまうことで自分に自信が持てなくなっている状態です。

自己啓発書の中身は似ている?

自己啓発書というジャンルの本は、自己啓発書のベストセラー本の焼き直しだと言われます。

つまり昔から似たようなメッセージに、著者の経験や意見、そして多少の方法論を加えたものということです。

ということは、人間が自己を啓発していくということは似たりよったりということなんですよね。

こうした中身の類似性を感じながらも、私は新しい自己啓発書を買って読み漁っていた気がします。

自己啓発書はエンタメ

先の記事にもありますが、自己啓発書の一時的な高揚感はエンタメと同じように消費されていくものなのかもしれません。

ただ、小説などをフィクションとしてとらえるのに対して、自己啓発書は現実的成果が想像してしまう、もっと効率的なものと考えてしまうところがありそうです。

悪いことが書かれているわけではないですし、マンガや小説を買うのと同じような気持ちで楽しめるのならそれはそれでいいのではないかと思います。

勉強と自己啓発の違いは?

ふと思ったのですが、「自己を高める」という言い方は、何かしらの技術を習得したり、知識を身につけることとは違うのでしょうかね。

たとえば英語学習など、仕事で外国人の方々と接する機会がなくても、好きだからという理由で学習を続けている方々がいます。

こうしたことも自己を高めるとは言えないのでしょうか。

そう考えると昨今では多くの方々が自己を高めていますし、能力主義社会とも関係してきそうです。

自己啓発書は不要?

私自身は自己啓発書が不要だとまでは思ってません。

そこから得られる高揚感は、停滞している気持ちをあげてくれることもあります。

ただ、思ったほど人生における効果が得られるものではなく、むしろ高揚感があるので落胆も激しくなることが問題だと思っています。

こういう状態になるとまた似たような自己啓発書を読みたくなってしまったり、最近ではSNSで自己啓発的な内容をひたすら浴びることもできてしまいますので、そこから抜け出しにくくなるのではないでしょうか。

中庸の精神と申しますか、何ごとも過剰は禁物ですね。

まとめ

まとまりがなくなりましたが、自己啓発について思ったことを書きました。

以上です。
読んでいただきありがとうございました!

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