スケープゴートの理論について

今日の気になる

こんにちは! mnbd(@mnbbbbbd)です。

今日は、菅野仁さんの「友だち幻想」という本を読んでいました。

その中に「スケープゴートの理論」というものが出てきます。

どこか聞き慣れた言葉でしたが、その意味するところを正確に理解していたわけではありませんでした。

スケープゴートとは、旧約聖書に出てくる、山羊に人間の罪を背負わせて荒地に話す宗教的儀式のこと。

このことから転じて、憎悪や不安、猜疑心などを一つの対象(個人または集団)に転嫁して矛先をそちらへそらせることを意味するようになったそうです。

親しい友人同士で、そこにいない友人の悪口を言う。

これはまさにそこにいない友人をスケープゴートにしていると言えます。

なぜこういうことをやってしまうかというと「当人同士の親しさを確認する」ため。

やってしまいがちなことなんですが、今度は自分がいつスケープゴートにされるかわからないという不安に襲われます。

そうするとその不安から過剰に一緒にいたり、連絡を取り合ったりして段々と苦痛が増します。

私自身の経験として、ある集団において、問題のある人が出てくるとその人のことで集団の話が持ちきりになり、妙な結束をして対処していたようなところがありました。

その過剰な結束ぶりが逆に妙な不自然な感じがしたのを覚えています。

スケープゴートは必要なのでしょうか。

場合によって、集団から排除されては困ることもあるので、単純に必要ないとも言えませんね。

個人であっても、信頼が得られにくくなるのかもしれません。

ただ、情報通信が発達している現在、安易に他者をスケープゴート化するのは、自分の首を絞める気がします。

二元論で答えを出せるものではありませんが、中庸の精神が求められるのかと思います。

補足

スケープゴートの意味や使い方について別記事がありますので、そちらもご覧ください。

以上です。
読んでいただきありがとうございました!

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