こんにちは! mnbd(@mnbbbbbd)です。
講談社新書から出ている、平田オリザさんの著書「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」についての読書感想です。
「わかりあえないことから」ってどんなことが書いてあるんだろう?
他の人は、どんな感想を持ってるんだろう?
本記事を読むと以下のことがわかります。
- 「わかりあえないことから」の断片的内容がわかります。
- 私が読んだ感想がわかります。
それではいきましょう!
どのような内容が書かれている?
本書では、世間で求められる「わかりあう」ことに重点の置かれたコミュニケーション能力に疑問を呈しています。
そもそも人は「わかりあえない」ものであり、そこから出発して少しでも共有できる部分を見つけていく、それこそがコミュニケーションであり、そこに難しさや楽しさがあると言います。
本書はスキルを身につけるようなコミュニケーションのハウツー本ではありません。
劇作家で教育者でもある著者が、実践してきた例をもとに書かれた、コミュニケーションにまつわる読み物になっています。
本文の大半は、講談社のPR誌「本」に一年間連載されたものになっています。
私の読書感想
単語でしか喋らない
実際の本文の引用し、私が感じたことや考えたことを以下に書きました。
子どもが単語でしか喋れないのではない。必要がないから喋らないのだ。「喋れない」のなら能力の低下だが、「喋らない」のは意欲の低下の問題だ。
平田オリザ「わかりあえないことから」(p.22)
私自身も単語喋りが多い気がしています。
それはひとえに親がいろいろと配慮してくれてきた結果なのだと思いますが、こうした日々の姿勢がむしろしゃべることへの意欲の低下を招いていたんだなと感じます。
会話と対話の違い
「会話」=価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり。
「対話」=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こる擦りあわせなど。
平田オリザ「わかりあえないことから」(p.95)
コミュニケーションをこのような分類を意識して話をしてきたことはありませんでした。
人見知りなこともありますが、あまり親しくない人と話す時の難しさを常に感じています。
対話はどこか闘いでもあると思うのですが、分類することで意識のもっていき方が変わる気がしましました。
役割を演じること
本当の自分なんていない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。
平田オリザ「わかりあえないことから」(p.219)
「演じている」というとどこか偽りや嘘を連想してしまい、悪いイメージがありますが、主体的に「演じていく」ことこそが他者への配慮であり、コミュニケーションを円滑にする秘訣でもあると思います。
総評
「コミュニケーション能力」という言葉はかなり前からある気がしますが、どこか劣等感を刺激させられる言葉です。
書店には多くのハウツー本があるようにそう感じる方々も多いのでしょう。
しかし、本書を読んでみて、そもそも人はわかりあえない中から共有していくのだと考えると、個人としてその能力がない人とある人がいるのではないと感じます。
コミュニケーションに対して主体的に望める気がしました。
まとめ
平田オリザさんの著書「わかりあえないことから」の読書感想と紹介でした。
以上です。
読んでいただきありがとうございました!