[感想・ネタバレ]世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? – 山口周

読書

こんにちは! mnbd(@mnbbbbbd)です。

相談者
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山口周さんの「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」にはどのようなことが書かれてるのでしょうか?
人はどんな感想を持ってるのでしょうか?

管理人
管理人

実際に読んでみたので、感想をご紹介いたします。

本記事には、以下のことが書かれています。 

  • 山口周さんの「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」の感想

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

  • 著者
    • 山口周
  • 出版社
    • 光文社新書
  • ページ数
    • 257ページ

第1章 論理的・理性的な情報処理スキルの限界

現代社会で求められてるのは、論理的な考え方や実践の伴った経験であって、エリートがそれを突き詰めると正解のコモディティ化にしかならなくて差別化ができない。

結果的に停滞してしまうという。

エリートではないのでわからないが、理屈として行き着く先で差別化できないというのはわかるものの、現場では、実際にどう違いを出すかをひねり出すことをしているのではないか。

エリートに限らず、こうした限界を肌で感じつつ、世の中のあらゆることからヒントを得て、個々人が変化を加えているように思うのだが。

第2章 巨大な「自己実現欲求」の市場

市場にはライフサイクルがあるという話で、4つに分けられてる(導入機・成長期・成熟期・衰退期)。

その中で、消費者の求める便益も、機能→情緒→自己実現へと変化するという。

また、それはどんな商品でも避けられないと。

あまりこうした感覚でものを消費してきたことがない。

機能でものを買うことで満足してしまうことが多いと感じる。

ただ、消費者の自己実現欲求のために、デザインを重視することで、本来あったら機能が低下することもある。

たとえば、Windowsに関して言えば、昔の方がデザインは良くなかったが、すぐにボタンと分かるデザインなど画面のユーザビリティ性能は高かった。

現在はむしろ、デザイン的に洗練されているものの、ボタンやスクロールバーなどが平面になってわかりにくくなってる。

前章でも書いたが、人間の生み出すものなので、必ずしも感性が無視されているわけではないと思うだが。

第3章 システムの変化が早すぎる世界

ビジネスによって作られるシステムの変化が早くなりすぎて、法律が追いつかないという話。

ライブドアやNAVERまとめなどの不祥事について取り上げられている。

法律を犯してしまうのは、むしろがんばって結果を出してきたエリートであればこそというのは、なるほどなと思った。

確かに、がんばれば結果を出してきた人たちが、停滞しそうな時に、どう論理的に判断を下すのか、そこで一線を越えてしまう人たちもいるのだろうと感じる。

それを思いとどまらせるものが、「美意識」ということなのだが、確かに美意識が一つの指標にはなるだろうなと思う。

しかし、試行錯誤しながら作っていくような場合、競争や利益の優先度が高くて、倫理や美意識が後回しにされ、気づいていても放っておいているのか、責任逃れをしたいのかなど、実際には感覚的にわかっていてそのままにしているようなこともあるのではないか。

権限のあるエリートの立場とは異なるかも知れないが、組織の中にいる場合、単純に理性であれ、感性であれ、「正しい」判断をするのだろうか。

第4章 脳科学と美意識

マインドフルネスがいいよという話。

私もやったことはあるが、思ったほど効果を感じがして、続いた試しがない。

「過去や未来について考えず、今を考える」という考えは、いかに人間が過去や未来に囚われてストレスを溜めているかということ。

マインドフルネスに限らずだが、日常生活の思考態度して、仏教を取り入れれば、理屈上は解消されるんだろう。

ただ、それを実践して効果を得ている実感はない。

「考えない練習」の小池龍之介は、日頃の生活態度から「今」を考えることをすすめている。

第5章 受験エリートと美意識

問題を起こしたオウム真理教を例に、その美意識のなさが指摘されている。

社会に答えを求めてしまうのは、何も受験エリートだけとは限らないと思う。

昨今は、先の見えない不安を誰もが抱えているし、そこに白黒つけたくなってしまうのはある。

そういう曖昧に耐えうる力として「美意識」という基準は役に立つと感じる。

第6章 美のモノサシ

「論理」「法律」「市場調査」という外部のモノサシから、「直感」「倫理・道徳」「審美感性」という主観的な内部のモノサシへの転換が求められてるという話。

例としてマツダのデザインについて。

本書でも「サイエンス」「クラフト(経験)」に比べて、「アート」は立場が弱いとされる。

アートは根拠が個人の感性の問題だから。

そういう「アート」主導の経営についての話だが、書かれているようにとても責任重大だなと思う。

データやサイエンスそしてのいいわけができないから。

ただ、こういう話を読むと、経営とかエリートに関係のない私のような人間でも、自分の感性を大事にしていきたいと思えた。

第7章 どう「美意識」を鍛えるのか?

美意識を鍛えるために、絵画・詩・文学に親しむべきだとしている。

美意識の鍛え方という方法もまた論理の答えのように思えてしまう。

多様性とはよく言われたことだが、個々人を尊重することで、感性が育まれるのではないだろうか。

総評

経営とエリートについての話で、どこか実感のわかない点が多かった。

論理的に考えたり、サイエンスの知見を得るだけでも、できてない人たちの方が多いように思うから。

ただ、「美意識」についての考えはとても参考になり、勉強になった。

経営やエリートとは無縁の人でも、自らの美意識を基準に物事を考えていくことは、生き方や価値観に影響を与えると思う。

本書において大事なことは、効率的になりがちな世の中で「偏った人間にならないようすること」なのだと思う。

その上で努力していくことが求められる。

まとめ

「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」についての感想・ネタバレでした。

以上です。
読んでいただきありがとうございました!

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